プロローグ

 

第 四回輝く人インタビューは「とても面白い女性ですよ」と、紹介された土屋さん。

世界でのあらゆる問題と真剣に向き合っているかっこいい女性であると同時 に、とっても女性らしく、朗らかで、自由で、初対面で緊張していた私をとても和ませてくれる素敵な女性。

そんな魅力的な彼女は、どのようにして今までの人 生を辿ってきたのでしょうか。

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1「世界の感じ方」

 

 

-小さいころはどんな子でしたか?

 

どちらかというと外向き。家の中で何かをやっているというタイプではなく、とにかく外で走り回って いました。足も速かったし運動は全部好きでした。

でも先生に怒られるようなことはなく、その頃は成績も良かったので多少の事は何も言われなかったのかもし れません。

自分がやりたいと思ったことは、やらないと気がすまなかったから親も何も言わなかった。時代も時代だったので、男に生まれてきたらよかったとい つも思っていました。(笑)

 

その頃、将来はフランス語の同時通訳になりたいと思っていました。同時通訳の人を目にする機会があり、フランス語かっこいいなって。

でも結局、その後十年以上フランス語には触れなかったけれど(笑)

 

 

-どういう時期に西アフリカに出会ったんですか?

 

中学三年生の時、先生が「卒論(のようなレポート)を 自分でテーマを決めて書きなさい」と。

その頃私は姉がプレゼントしてくれた『ルーツ』というアレックス・ヘイリーが書いた奴隷貿易の話を読んで「差別」と いう事に対して強く意識する様になっていました。

だから、アメリカの中でアフリカ系の人達について書いたんですね。どうして人は差別するんだろう、と。私 関西の出身なんですが、その頃はまだ、以前同和地区と呼ばれていた地域を大人はみんな知っていて、うちの母は普段けっこうリベラルな人だったのに、「そこに入っちゃいけない、あそこの地区の子とは付き合っちゃいけない」と、暗に言われました。

学校にいれば友達だし同じように生活しているのに、それが凄く理 不尽な気がして心の中で反発していました。そういう、母の気持ちを感じれば感じる程、“じゃあ、その地区の子と付き合ってやる!”って。(笑)嫌 じゃないですか、理由もないのに。

中学の時に色んな差別問題に対する意識が動いている時期だったので、その頃からアフリカの歴史とかアフリカ系の社会に興 味を持っていたと思うんですよね。特に『ルーツ』の舞台として描かれていた西アフリカに強い印象を持ち、それが西アフリカとの出会いだったと思います。

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2「繋がってゆく」

 

 

-西アフリカと繋がるきっかけとなったものは?

 

小学生の頃からバトンをやっていて、踊るのがとても好きだったんです。

普段は近所の同級生の男の子 を引き連れて走り回ってたんですが、誰もいないと思ったらこっそり庭でひとりで踊っていたんですよ。バトンは大学くらいまで断続的に続けましたが、「何か ちょっと違うなー」と思っていました。ちゃんとダンスの基礎を学びたいと思いクラシックバレエを習い始めました。そんなある日アフリカの音楽に出会いま す。

そこで見つけた一枚のチラシがアフリカンダンスへの扉を開いてくれました。衝撃でしたよ。こんな風に踊っていいんだ!って。クラシックバレエの先生には内緒で毎週通っていました。小学生の頃のバトンからダンスが好きという気持ちはずっと続いてて、中学時代に読んだ本や身近な差別の現実や社会の理不尽な事への反発、同時に、それに関わる文化や世界観がダンスを中心に外へ外へと広がっていった感じです。それがアフリカであり、今の社会の構造への疑問でもあ り、人権への意識でもあり、ってところですかね。

 

-ダンスがアフリカと土屋さんを繋いだんですね。

 

アフリカンダンスのクラスで一緒に練習していた英語の先生と仲良くなったのですが、彼女からはアフ リカの文化をたくさん学びました。

当時、アフリカ音楽を毎日演奏している場所があり、そこで私にとっては未知の世界だったアフリカの生の情報を沢山学びま した。その中の一人がマリ人のギタリストでその人との出会いがマリに繋がっていくんですよ。そのミュージシャンのマネージメントの仕事を始め、レコーディ ングやヨーロッパツアーなどを経て、NGOを立ち上げました。

 

マリ人のミュージシャンの周りに来日の人が増えてきて、そういう人たちと仕事するにつれて、アフリ カには地球の問題が凝縮されていて、アフリカの問題は日本の問題、自分自身の問題だと思う様になりました。

でも、ダンスや太鼓を習っている人達で、彼らの 音楽と社会の状況との繋がりを気にする人は多くはありませんでした。だから、そういうことをきちんと知ってもらいたいな、と思っていたのです。素晴らしい ものを素晴らしいものとして紹介するのもすごく大切だけれども、素晴らしいだけじゃなくて、感動と共にその背景を知ってもらうと、色々な問題ももっと身近 に感じてもらえるんじゃないかと。

社会問題って深刻な取り上げ方をされますよね?飢餓とか病気とか紛争とか可哀想なイメージ。でも実際はそれだけではな く、そこでいきいきと生活している人々がいるわけです。そして、生活の中の文化としてダンスや音楽がある。こういうポジティブな切り口で社会の問題を多く の人達にきちんと知って欲しいなと思ったんですよ。

楽しくダンスしながら、そして、自分の感覚を大切にしながら、「ダンスや音楽はこういう所でこんなに素 敵な人達がこんな時にこんな風に踊ったり演奏したりするんだよ」ということを、特に小さい人たちへきちんと伝えていきたいと思っています。

アフリカのダン スはその場を共有する人達との調和を大切にします。お互いの存在を認め合い、踊り手と演奏者はダンスと音楽でコミュニケーションをとり、観客も含めた全員 がその場のハーモニーを創る構成員となります。こんな素敵な考え方はダンスをしない人たちにも是非シェアしたいです。

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3「生きる」

 

 

-そんな中で今までの最大のピンチは?

 

35歳 の時に働きすぎてストレスでガンの告知を受けました。

ずっと昼も夜も寝ないで徹夜の生活を続けていたので。こりゃいかんと思ってその時考えた事は、もうや りたいことだけをやろうということ。それから無理をしなくなりました。精神的なストレスというか、納得のできないことはやらない。でもちょっと迷うことっ てあるじゃないですか、受け入れるべきかどうかって、例えば、仕事の依頼があって、報酬はいいし、どうしようかな、と。

そういう時には、私はこれを本当に やりたいのかどうか、とまずは自分自身に問いかけます。その結果、やりたくないって思ったら報酬が良くても受けないっていう選択をします。もちろん、生活 をするためには気が進まなくてもしなければならない事は沢山あります。ただ、嫌々やってもそれはストレスにしかならない。経験に無駄な事はないんです。全 て蓄積されて繋がっていると思えばやりたい事に出会った時にすぐにそのチャンスを掴んだり、そのことに向き合える。失敗したらまたやり直せばいいと考え て。

 

今はお蔭様でガンは治りましたが、たぶんあれは、究極の警告だったと思っています。今でもガンだったという実感はあまりない。根っからのオプティミストなんです。(笑)

 

 

-これからチャレンジしたいことは?

 

今の目標は自分の体を作り直して子どもたちのための文化体験の場を再開すること。それからフランス語をもう一度やり直す事。自分では40歳 くらいから体力も記憶力も落ちる一方だと思ってたんです。でも細胞も神経も筋肉も、もちろん、脳細胞も刺激を与えて訓練すれば全部死ぬまで成長し続けるん ですって。それを聞いて、よし、作り直そうって思ったのです。ちょっと最近ボケボケしてたんですよ、もう下降するばかりだろうし、って。でもいやいやまだ 全然いけるぞ、って。脳も体も感性も、自分で限界をつくったらそこでストップ、ですから。もうすぐお腹割れてくるかも!(笑)