輝く人インタビュー第3回は、一般財団法人北海道国際交流センターで国際人材育成セクションリーダーを務める尾崎嘉洋さんにお話を伺った。

幼い頃はサッカーと空想が好きで、密かに冒険に憧れていたという尾崎さん。大学1年生の夏、人生に大きな変化が起こったようだ。

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1.「自分だからこそできること」

 

 

――将来について考えたのはいつ頃ですか?

 

 

「大学に入ってからですね。高校は、サッカーをやるか、音楽を聴くか、古着屋さんに行くか、彼女とデートするか、そんなことしか頭になくて(笑)大学では、授業が退屈で最初の半年くらいは授業に行かず、バイトしたり踊りにいったりしていました。

 

とある一年生の夏、踊りに行った帰りに家に始発で帰る時、たまたまハッと、「なんで俺ここにいるんだろう。なんで生きているんだろう。人生ってなんだろ う。」って自分に問いかけたら、全然わからなくて、止まらなくなってしまって。

おそらく心身共に疲れ果てていたんだと思います。

それから3か 月くらい毎日人生を悩み続けて、ずっと「暗闇」の中をさまよっていました。

そんな中、アウンサンスーチーさんの『自由』という本や、『ブレイブハート』と いう映画をはじめ様々な本や映画を観て、それぞれの土地でそれぞれの時代の人たちが、その人だからこそできることをして精いっぱい本気で生き抜いてきた、 ということに感動をして、当時1996年の日本で自分だからこそできることは何だろう、って自分事に置き換えて考え始めました。

 

学校では地球環境と開発経済というコースにいたんですけど、ある授業で「2040年 で地球は終わる」って書いてある環境問題の本を読んで大ショックを受けました。

大変だ、って。なんでこんなに地球が危ないのにみんな見て見ぬふりしているんだろうと焦っていました。

でも、気づいた人から何かやっていかなければいけないんじゃないか、と思って、「そうだ、地球を救おう」という人生初の夢がで きたのが、大学1年の夏過ぎですかね。」

 

 

――どのような行動を起こしましたか

 

 

「自分の中で「地球」の存在が大きくなる一方で、一度も飛行機にも乗ったこともないし、海外に行ったことがないな、と思って。

1年生の春休み、友人とバックパックでヨーロッパ5か 国を旅しました。

色々な人たちと出会って、変な人に連れて行かれそうになったり、お金をぼったくられたり、危ないこともあったけれど、その世界は自分が今までいた日常と全然違って、色々なものがリアルで新鮮でワクワクしました。

帰国後、よく人生相談をしてた古着屋の店長にその話をしたら、今度は違う形で 行ってみれば?と言われたのがきっかけで、たまたま本屋の立ち読みで見つけた海外ボランティア「国際ワークキャンプ」に、2年生の夏に参加するためにチェコへ飛んでいきました。

これが今の仕事に繋がる最初のきっかけになったと思います。

 

その頃から、漠然とNGOやボランティアの面白さに気付いて、将来はNGOの仕事に就きたいと思いました。

自分のいた経済ネットワーキング学科では、実はNGOなどで活躍できる人材を育成するコースだったんです。

たまたま自分がそこにいて、熱く生きたいという想いに本気で向き合ってくれる大人たちがいたというのも、今振り返ればすごい偶然だな、と。」

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2.「自然に生きる」

 

 

――就職活動への不安はありませんでしたか?

 

 

「当時NGOで食べていくのはまだまだ難しいと思っていて、周りが就職活動をしているぶん、不安は正直ありました。

3年生の夏は、ネパールに植林のボランティアに参加し、自然と人間の共生について学ぶこともあったんですけど、やっぱり就活への不安がぬぐえず、日本に帰った ら就活をしようかなと思いました。

でも、帰る前日にたまたま訪れたカトマンズ郊外にあるヒンドゥー寺院で火葬の場に遭遇して、ガンジス川の源流であるその 現場に座り一部始終見ていたら、人生で初めて人が燃える煙や臭いを感じて、それが数時間後には骨と灰になっていて、自分の吸っていた煙草の灰と変わらないことに気づいて。

知識としては当たり前なんですけど、人って何をしていても、いつかは亡くなり、誰かが火をつけたら灰になって土に還っていく。

あ、人(自分)って自然なんじゃん。自分は自然なんだから、自分がやりたいこと、生きたいことがあったら、自分の気持ちに自然に生きたらいいじゃんと感じたら、肩の 荷がすっと下りたんです。

決められた社会のレールや常識といった曖昧な不安を勝手にしょいこんでいた自分がいて、それに抗おうと悩んでいた自分がいて。それまでは社会に対する反抗心を着飾ったりして無理に格好つけていたけど、その時から、「自然でいいんだ」と気づきました。」

 

 

――やりがいを感じるのはどんな時ですか?

 

 

「3月に卒業してからは、お世話になっていたNICE(日本国際ワークキャンプセンター)という国際ボランティアNGOからの紹介で、タイのNGOでプロジェクトコーディネーターとして村落開発事業に携わり約3年間働きました。

その後、ドイツに渡り1年間現地のNGOで働いていました。日本を離れているうちに、日本が大好きになって、NICEに就職して4年 間東京で働きました。

そこで、「なにかしたい」という若者たちと若者の力を求めている地域を繋ぐ活動をしていったんです。

お互いまったく違うような様々な バックグラウンドを持つ人たちが、想いを語り合い共感することで繋がり、共感が形になり広がっていく。

そこからまた色々な人たちが出会い、イキイキとワク ワクしながら動いていく、そしてそこから何かが生まれる、という「共感から何かを生み出していく」ことにやりがいを感じます。」

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3.「地球を『つなぐ』」

 

 

――最大のピンチはどんな時ですか?

 

 

「2009年に福島県に家族で移住し、昭和村という小さな村で地域づくりの仕事をしていました。

そして、2011年 にあの東日本大震災が起きました。

震災のあと、家族と別れてしまって、悩み続けたことがありました。

いつも天命を感じながらがむしゃらにやってきていたん ですけど、この時は自分の天命を見失ってしまいそうになって。

でも、その後の大切な人との出会いで救われました。

改めてその時に人生の師匠に「天命を生き ろ」と言われた言葉は大きく、自分が人生で一生をかけてやりたいと思ったことが何であったか、もう一度見直すことができたんです。

自分の道だけをひたすら 走り続けるのも人生ですけど、そうじゃなくて、自分の道をありのままにシェアできる大切な人と毎日を日々幸せに生きて積み重ねていくスタイルでやっていき たいな、と最近は思うようになりました。」

 

 

――今後の「生きる」目標を教えてください

 

 

 

「最初は地球を「救う」って思っていたけど、今は、地域に寄り添って、向き合って、それをどういい形で次世代へ繋いで残していくか、が大切だと思うように なりました。

地球・地域に寄り添って、それを繋いでいくためのつなぎ役であればいいかな、と。

せっかく生きている一回しかない人生なので、自分自身、そし て「今」を生きる一人一人が存在意義を感じながら関わり合い、繋がりあえる生き方をしていきたい、そんな社会を創りたいです。

仕事面としては、地球を舞台 に地球規模から小さな農村でも活躍できるようなグローカルなコミュニティワーカーを増やしていくような人づくりにしたい。

今の職場でそういうことができる ので、まずは北海道函館からそんなチャレンジをやりたいです。」