第2回輝く人インタビューは、CM音楽を始め、様々な音楽を手掛けられている作曲家の小野雄紀さんにお話を伺った。
冨手さんよりご紹介頂いた小野さんは、冨手さんによると、幼いころ「神童」と呼ばれていたという。そんな幼少期をどのように過ごしてきたのだろうか。
1 「音楽一家」
――幼少期はどのように過ごしましたか。
「教育熱心な父のもとで、ピアノとサッカーをやっていました。
でも、ゲームとかも大好きで、普通の子供と変わらないですよ。
うちはファミコンを買ってもらえなかったんですけど、なぜかゲームの攻略本は買ってもらえたので、それをひたすら読んで頭の中で攻略するのが楽しかったですね。
ゲーム音楽はキャッチ ―な曲も多くて、友人の家で遊んだ時に一回聞いたら覚えられたり。
今考えると、著名な作曲家の方々が作っていた曲も多くて、そりゃー名曲多いですよね (笑)初めてお小遣いで買ったCDもゲーム音楽のものでした。
ピアノは、やった分だけ上達していくのが楽しかったです。
与えられた曲をクリアしていくのがゲームみたいな感覚で、興味のない曲も、先生にうまく乗せら れて弾いていました。
父が(ヤマハ)音楽教室を経営していたこともあって、母親がエレクトーンの先生、姉と弟もピアノと、いわゆる音楽一家で常に周りに音 楽があったんです。
子供の頃に濃密に教育された影響って絶対に大きいから、それは間違いなく受けていると思います。」
――CM音楽を手掛けるようになったきっかけはなんですか。
「母親と車に乗っている時、『雄紀はCM音楽やったらいいんじゃない?いろんな音楽が好きだし。』って言われたことがあったんですよね。
後から母親に聞 いたら全然覚えていなかったけど(笑)大学卒業してからはバイトをしながミュージシャンを目指してライブをやって過ごしていました。
今の仕事に出会ったきっかけは、広告制作会社に勤めている友人にたまたま声をかけてもらったことですね。
でも、明確にこれを仕事にしたいと思ったのは 25歳の時。
ニューヨークにいる友人が、CM音楽の作曲家を紹介してくれるというので、ささっと学生VISAを取って会いに行きました。
このフットワーク の軽さが良かったのかもしれませんね。アメリカでの経験は、間違いなく今の仕事のベースになっていますよ。
当時交際していて現在結婚10年目になる奥さんは、以前ニューヨークに住んでいたこともあって、『大変だけど、面白いし、成長できる街だから行ってきた ら?』って背中を押してくれたんですよね。
そんな彼女にもすごく感謝しています。こうして振り返ると、僕は本当に人に恵まれているなぁ、と思いますよ。
い つも誰かがターニングポイントになっていて助けてくれるんです。そんな周りの人々や環境にも感謝です。」
2 「人との繋がりで生まれる作品」
――仕事のモットーや、やりがいを感じることはなんですか。
「この仕事がすごく自分に合っているなーと思います。
基本的に飽き性なんですけど、CM音楽って尺も短いし、製作期間も他のものに比べるとタイトだし、 なによりすごく刺激的で楽しいんです。
幅広くいろんな音楽を作らなきゃいけないのもあって、様々なジャンルの音楽を聴いたり、ライブをみたり、勉強も必要 だけど。好きなことなので全然苦じゃないです。
発注元の人が僕の作った曲に満足してくれたら、それが一番やりがいを感じる瞬間ですね。
あと、僕の作った曲を使ったCMを見て、家族が喜んでくれるのも 嬉しいです。
ただ、発注者がいて、作り手の僕がいて、相手の要求に対して自分らしさも注入したいので、そこのバランスは難しいですね。
僕は、人と人との間にすべてが生まれると思っているので、お互いが納得のいく曲を作るにはコミュニケーションがすごく大切だと思うんです。
だから、モッ トーは、人を大事にすること、相手が何を考えているかとか、何を求めているかとか、人のことを考えたり、思いやりを持つことかな。
あと、仲間5人で『kkzn(カケザン)』っていうクリエイティブコミュニティーを運営していて、年に2~3回、地方の優秀なクリエーターの方々とセッ ションするんですけど、こうして人と沢山会って話をすることで、なにかが生まれるんです。
人と人とのコミュニケーションがとても大切なんですね。」
3 「共鳴」
――尊敬する人を教えてください。
「中高の頃に毎月ピアノの特別レッスンをしてくださった、ピアニストの有森博先生です。有森先生はすごくユニークな方で、ピアノの弾き方も型にはまって いなくて、いつも個性的な演奏をしてくれたんです。遅く弾く曲をすごく速く弾いたりとか、面白くて。
中学生くらいの時、いわゆるクラシックのルールが ちょっと窮屈に思えた時期に、有森先生の演奏を聴いて「音楽って自由なんだ」ということを教わりましたね。
あとは、父親です。体育教師になる夢があったそうですが、家の事情で家業を継いだ父をとても尊敬しています。地方で商売を続けていくことって、とっても大変なことだと思います。」
――小野さんにとって、「生きる」とは。
「お互いに影響を与えたり受けたりしながら、共鳴しあうこと、ではないかと思います。僕は人が好きなので、初めて会う人でも、まずは相手を受け入れて、 それからどんな人なのかなーと考えます。
もしかしたら共鳴できる周波数が広いのかもしれませんね。
人間て一人じゃ生きていけないから、いい影響も悪い影響 もある中で、お互い共鳴し合って生きていくことなんじゃないですかね。」